日本財団 図書館


 

ーカでもある。バスの生産も多く、ドイツ国内で年間約3500台を製造する。内訳は約1200台が観光車で、残りが路線車で、総数の約2/3がドイツ国内向けである。最近観光バスの名門メーカであるケスボーラ。ゼトラを傘下に入れ、グループとしてのシェアはかなりにのぼる。同社のドイツ国内のバスの製造は、マンハイム工場で行われている。(同工場はこの他商用車用エンジンの製造も行っている)
ベンツ社のバスの歴史は1894年にさかのぼり、それが世界で初めてのバスである。(従って1994年はバスの誕生100周年であった)マンハイム工場の自動車生産はさらに以前の1887年に開始されている。現在の形のバス製造ラインとなったのは1984年で、現行の0405が登場した時期である。
今回の工場訪問の日程が、あいにく従業員ストライキと重なり、ラインはすべてストップした状態であり、訪問が危ぶまれたが、工場は止まっているものの見学とディスカッションは可能ということで、一安心であった。ベンツ側の対応は、博士号をもつ説明員で、工場見学の後、技術討論を行うこととした。
見学先は、路線バスの車体組立、塗装工場、最終組立ラインの3種とし、現場に向かったが、工場内はラインが止まっているばかりでなく、電気も消えており、薄暗いなかの見学となった。中の印象は、ネオプランに比べ広くゆったりしており、自動化はあまり進んでいないものの、整然としている感じであった。作業が全く行われていないので、逆に近くに寄ったり、下からのぞき込んで、車両骨組み構造をじっくり観察することができた。構造としてはいわゆるスケルトン構造で、そんなに特別な部分もなく、難しさは感じられなかった。塗装工場は、最近新設された、カチオン電着塗装工程が同社自慢の設備である。15分程度の複数の工程をへて仕上がっていく状況が、展示用ミニチュアでよく理解できる。大規模投資の割に、現在の処理数は能力にくらべて少なく、将来的には、ゼトラの分もマンハイムに移管することも検討されているという。最終組立ラインは1984年に操業開始したもので、複数のベルトコンベアラインにのってバスが流れていき、完成する状況は圧巻である。ラインそのものはストライキで止まっていたが、工程途中のカラフルなバスが多数並んでいる姿は、壮観であった。時期的に観光車はほとんどなく、路線車ばかりであったが、低床でないバスの数が少なくなかったのは意外であった。(既に80%以上が低床バスになっているというので、たまたま輸出等の非低床車が目に付いたということと思われる)
見学の後、資料をもらい、昼食をとりながら、技術討論を行った。まず、低床バスの価格については、やはり従来車比115%程度となっているが、市場がそれを受け入れている。ベンツ社としては、完成車としては高品質を保証するため、すべてマンハイム工場製と考え、労働力の安い国での生産は考えていない。さらに低価格化への要求がある場合は、シャーシまたはコンポーネントの輸出で、現地ボディの架装となる。(低床車の実績はまだないが、英国などへはシャーシ輸出、現地ボディ架装の例がある)
低公害車については、基本的に、規制対応とCNGやハイブリッド(含むトロリーバス)で対応しており、将来的には現在研究中の燃料電池も期待がもたれる。規制対応は、次のユーロ3に向けて開発中で、説明員の個人的見解では、規制対応車の大量導入の方が、数少ない低公害車の導入よりも効果が大きいので、望ましいのであるが、これら低公害車のシェアは、政治的に決定されるので、メーカとしては、両者を選択肢に用意しなければな

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION